コモディティとスペシャリティ
少し古い本ですが、こちらの本に書いてある、「コモディティ」と「スペシャリティ」という概念について簡単に紹介します。英語を勉強している方なら是非触れてもらいたい考え方です。
経済の世界ではしょっちゅう出てくる言葉らしいですが。「コモディティ」とは簡単に言うと、他とは差異の無い、ありふれていて代替可能な製品のことです。対して「スペシャリティ」とは、他とは差異がある特殊な製品のことです。
資本主義社会では、ほとんどの製品がコモディティ化していきます。冷蔵庫やテレビなどの家電なんかはコモディティ化していて、どのメーカーを選んで買っても機能や大きさは大体同じで、ほとんど変わらないですよね?なので、値段が安い方を選んで買います。安い方が選ばれる、これがコモディティの特徴です。
スマホも例外ではありません。Apple社がiphoneを世に出したときは非常に革新的で、唯一無二の存在として皆がiphoneを買い求めました。まさにスペシャリティな存在でした。しかし2019年の現在、スマホ市場は飽和状態、各社が様々なタイプのスマホを販売し、スマホ自体もコモディティ化しました。皆、安いスマホを選び始めていますよね?日本においてもAndroidのシェアがiphoneを抜き去り、iphoneもコモディティ化してしまったのです。
機能やデザイン、使い易さなどが均一化し、多種多様な商品で市場が溢れる。どんな製品も、結局はそうなる運命、つまり最初期はiphoneのようにスペシャリティな存在でも、他社の追随によりコモディティ化してしまう、ということなのです。
人材、においても同じことが言えるんだそうです。有名大卒、TOEIC900点、などのスペックは、コモディティ化していてありふれた存在なのです。英語の資格があろうが英語が出来ようが、そんな能力は他との差異にはなりえません。アジアのそれなりの大学卒レベルであれば、英語はほとんど使いこなせますから。
つまり、あなたがいくら英語を頑張って勉強しても、英検やらTOEICやらを頑張っても、市場価値においては変わらず凡人ですよ、ということなのです。単なるコモディティなのです。ならば安い方が買われる。国際的企業であれば、アジアなどの給料が安くて良い国からの学生を採用します。日本人は高いからです。
ここからは私の意見ですが、では英語の勉強は無意味なのか?資格試験も大学受験の勉強も一切無意味なのか?そうではありません。私が思うのは「コモディティ」としての最低限の機能、品質を備えつつ、「スペシャリティ」になればいい、ということです。
英語が(ある程度)出来る、は最低限の機能です。必須です。最低限の機能がなければ、いくら安くても洗濯機やテレビは買われないですよね。なので最低限の英語力は必須なのです。その上でスペシャリティとなる別の差異を身につければいいわけです。ではその差異とは何か?気になる方は本を読んでみてください。スペシャリティとはなにか?についても本には書いてあります。